鉄瓶の歴史(ルーツ)

湯釜の一種に、三足の釜に注口を設け肩の常張鐶付(じようばりかんつき)に弦(つる)をつけた「手取釜(てどりがま)」があり、これが現在の鉄瓶の祖型と考えられています。16世紀(戦国時代)には茶道で使われています。手取釜は鉄瓶と似た形をしていますが、弦が細いといった形状から、当時は釣り釜として使われたものと思われます。手取釜の名称は室町時代末以後の茶会記に数多く見受けられ、この頃、天命(現在の栃木県佐野市)で盛んに鋳造されていた事が知られています。

鉄瓶という呼称が使われ始めたのは18世紀の末頃(江戸時代)と言われ、幕末から明治初年には一般的に使われたようです。その背景には中国より伝わった煎茶があり、それまで敷居の高かった茶道に対し、手軽にお茶を楽しめる文化として一般に鉄瓶が普及したと考えられています。

天明5年(1785)の「諸方誂物掟(しょかたあつらえものひかえ)」や文化13年(1816)の茶道書「茶道筌蹄(ちやどうせんてい)」に鉄瓶についての記述が残っています。明治16年(1785)の「都の魁(みやこのさきがけ)」には鉄瓶を造る業者として、龍文堂ほか数社が見受けられ、京都で盛んに鉄瓶が作られたことがうかがえます。

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