工房説明

龍文堂は江戸末期から昭和33年頃まで8代続いた京都の名家です。明治から大正に掛けて高級な鉄瓶を製作し、歴代が数々の名品を世に残していて、夏目漱石の著書「吾輩は猫である」にもその名が出てきます。初代四方龍文は蝋型鋳造による鉄瓶の製作を創案し、京鉄瓶の礎を築きました。二代目の門人には亀文堂、秦蔵六ら名だたる名工が名を連ねています。

亀文堂は幕末から昭和まで4代続いた鉄瓶の名門です。初代亀文堂(波多野正平)は1813年(文化10年)京都に生まれました。2代龍文堂安平に師事し蝋形鋳造の技術を学び、その後独立して近江・能登川に住み鉄瓶の製作に従事しました。山水浮き彫り模様の鉄瓶が好評を博し、亀文堂の名は広く世に知られるようになりました。さらに鉄瓶の胴や弦、摘みに銀象嵌を施した高級鉄瓶を製作し、亀文堂の名を不動のものとしました。

明治・大正時代に活躍した大国栢斎(おおくにはくさい)は当代随一の名工として名声を博しました。明治22年頃から「大国造」の銘で鉄瓶を製作、42年以後湯釜を製作し大正13年パリ万国装飾美術展に出品し1等を受賞。子の大国藤兵衛、や大国寿郎も多くの名品を残しています。

【秦蔵六(はたぞうろく)】

幕末から続く名門で、初代秦蔵六は初代亀文堂(波多野正平)の弟。2代龍文堂の門下で鋳造の技術を学んだ後に独立。江戸期には孝明天皇の御印や将軍徳川慶喜の黄金印を鋳造し、明治に入ってからは明治天皇の御璽(ぎよじ)、国璽(こくじ)を鋳造し名声を上げました。

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