鉄瓶とは湯を沸かす鋳鉄製の器具です。茶釜から発展したもので、注口(つぎくち)と弦(つる)がついています。丸形、筒形、平丸形などの形があり、胴には霰(あられ)や文様などの装飾が施された物もあります。
鉄瓶というと「南部鉄瓶」が有名ですが、鉄瓶は南部(岩手県)以外でも関西、山形県、栃木県、富山県、三重県、東京都等々、日本各地で作られており、産地それぞれの特徴や歴史があります。
「龍文堂」や「亀文堂」といった名前に聞き覚えはないでしょうか。これらの名工による鉄瓶は、「関西鉄瓶(京鉄瓶)」と呼ばれ、関西方面で作られたものです。鉄瓶は大きく分けて素朴な趣の南部系の鉄瓶と、装飾性の高い関西系の鉄瓶に分けられるかと思います。
南部鉄瓶
【南部鉄瓶の特徴】
南部鉄瓶は盛岡などで作られている鉄瓶で、伝統的で高度な鋳鉄と技術が使われており、無骨な鉄肌と飾り気のない作風が特徴です。蓋が鉄製で摘みが一体型、肌が黒い物が多く、主に日常用として使用されています。
【南部鉄瓶の歴史】
南部鉄瓶の歴史は江戸時代にさかのぼります。1659年(万治2年)茶道に通じていた第28代南部藩主の重直が、自藩から良質の鉄が産出するのに着目し、京都の釜師、初代小泉仁左衛門を招いて茶釜を造らせたのが南部鉄器の起源といわれています。
1750年頃に3代目仁左衛門の考案によって、現在のような形状の南部鉄瓶が造られるようになり、1908年(明治41年)皇太子(後の大正天皇)が盛岡を訪問した際に、8代目小泉仁左衛門の南部鉄器製作を褒め称えたことが全国に報道され、それが南部鉄瓶が広く知られる事となったきっかけになったといわれています。
関西鉄瓶(京鉄瓶)
【関西鉄瓶の特徴】
関西方面(京都、大阪、滋賀)で作られた鉄瓶で、造りが繊細な物が多く、日常用だけでなく茶道などにも使用できるのが大きな特徴です。南部鉄瓶が主に鉄だけで造られているのに対し、京鉄瓶は弦や蓋が銅製で多種の摘みがあり、象嵌等の装飾が施された物が多く、京文化の特性が反映されています。その美しい造形から鑑賞用として収集家にも人気があります。
【関西鉄瓶(京鉄瓶)の歴史】
高名な龍文堂の初代四方龍文が1764年(明和元年)頃、京都で蝋型鋳造によって鉄瓶を造る事を創案しました。この事により複雑な形状の鋳物製作が可能となり、流麗で柔和な風合を持った鉄瓶が造られるようになりました。
二代目の門人には近江の亀文堂、京都の秦蔵六らがあり、それぞれが名だたる名品を残しています。大阪は京都と並んで多くの釜師が鉄瓶を造っていますが、中でも明治・大正時代に活躍した大国栢斎は名工として名声を博しました。