ホーローとは、鉄やアルミニウムなどの金属素材の表面にガラス質の釉薬(うわぐすり)を高温で焼き付けたものです。強度があって熱伝導がいい金属の良さと、耐食性や光沢の美しさといったガラスの良さを併せ持っていて、食器、調理器具、浴槽などの家庭用品からホワイトボード、道路標識といった物まで幅広く使われています。
ちなみに漢字で書くと「琺瑯」と書きます。難解な漢字のため通常は「ホーロー」と表記されることが大半です。
金属にガラスの加工を施すといった基本的な技術は、金属工芸の七宝焼き(しっぽうやき)と共通で、七宝もホーローの一種と言えます。※厳密には製作工程は多少異なります。
大まかに言うと実用的なものがホーローで、装飾性の高い美術品等が七宝と考えて差し支えないと思います。英語ではどちらも区別なくEnamel(エナメル)と呼ばれているようです。
七宝(ホーロー)の歴史
七宝の歴史は古く、紀元前にホーロー加工が行われていた事が確認されています。現存する最古の発掘品はエーゲ海のミコノス島から出土したもので、紀元前1425年頃のものと推定されています。その後、この技術がヨーロッパ方面とアジア方面の二手に分かれて伝わり、シルクロードを経て日本にもたらされたとというのが通説です。
世界的に有名な古代エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクも七宝の一種で、黄金にラピスラズリ(和名:瑠璃・ガラスの一種)などを焼き付けることにより煌びやかな装飾が施されています。
七宝が日本に姿を現わしたのは飛鳥時代といわれ、日本に現存する最古の七宝は7世紀後半(古墳時代末期)に築造された斉明天皇稜古墳の出土品「六葉花文亀甲形金具」とされています。(※諸説あり)有名なものとしては8世紀(奈良時代)のものとして正倉院宝物の「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」があります。
室町時代になると多くの七宝焼に関する記録が残っており、安土桃山時代の頃までには七宝焼が日本各地で作られるようになったと伝えられています。その後、江戸時代には刀のツバや印籠、煙草入れにまで用いられるようになりました。
装飾品ではない実用品としてのホーローが作られたのは明治時代で、桑名の大鍋屋広瀬与左衛門が鋳鉄ホーロー鍋を作ったのが最初といわれています。